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Story


梅栄堂  線香「IMAGINEシリーズ」のストーリー 
     『「香りを聞く」こと』



線香は古くから日本の生活に浸透しています。

戦国時代、堺の商人であった、小西行長の父親が朝鮮からその製造技術を持ち帰ったといいます。
小西行長というと、太閤秀吉幕下きっての戦国武将です。
秀吉の朝鮮遠征で加藤清正とともに名を挙げた、関ヶ原合戦で石田三成率いる西軍で奮闘するも捕縛された、というのは
戦国時代好きならご存じのことでしょう。
ただ、出自が「堺の商人」だったということも付け加えて彼を語れる人はよっぽどの戦国時代好きなのではないでしょうか。

歴史の話がしたいわけではありません。
「堺の商人」が線香の技術を「堺に」持ち帰ったのです。
そして、「堺の線香」は伝統のブランドとして受け継がれ、今に至ります。




そう、歴史の話がしたいわけではありません。
でも、「香」を語るには、歴史を語らねばなりません。
そもそも、日本では「香」は非常に高価なものであり、
貴族階級にしか手に入らないものだったのです。
線香製造の技術が持ち込まれるまで、
日本での「香」は沈香(じんこう)や乳香といった香木や樹脂を焚いて香りを出すものでした。
そして、「香」のもとはすべて「南蛮渡来」のものだったので、大変高価なものだったのです。
そこへ線香の製造技術が入ってきたことにより、庶民の生活必需品として広がっていったといいます。
もちろん、線香の「香りのもと」はその高価な香木・樹脂です。
ただ、「香りのもと」を絶妙に調合し、基材と練り合わせることで
少量の香木・樹脂で最大の効果を出すことができるようになり、
徐々に庶民に広がっていくことができたのです。



日本の「香」の歴史も当然古いのですが、
「香」そのものの起源はもっと古いとされています。
メソポタミアであるとか、インドであるとか、その起源は諸説あります。
ここは論文を書くところではないので、これが起源だ、と断定することはしませんが、
その諸説の中に、「香」はそもそも体臭対策であった、というものがあります。
人が集まるところは体臭が充満する。
これは今も昔も悪臭だったのでしょう。
その体臭対策として、「香」が焚かれた、というものです。
もちろん、体臭だけではない、あらゆる悪臭の対策となったことでしょう。

これは私の想像ですが、
悪臭対策はいつの間にか「不浄なものを清める」といった宗教的な意味合いを持ったのではないか、
当初は「対策」であったものが香りそのものに価値が見いだされ、「香」となったのではないか、
と考えたりします。
そして人と関わり続けることで「香り」は長い歴史を経て、今では精神統一や癒しといった
新しい価値として人の心に作用する役割を得たのではないでしょうか。

やはり論文を書くところではないので、私見はこれくらいにしておいて。
でも、なぜ、歴史の話になるのかというと、
今も、私たちは歴史の中に生きているからです。

梅栄堂は歴史ある会社です。
室町時代に薬種問屋であったものが、線香製造の技術が持ち込まれ、
江戸時代初期に「沈香屋作兵衛」と称して線香製造を営んだとのこと。
「沈香」とはこれはまさに香木のことで、この「沈香屋」とは、堺独自の呼称で、
香を専門に扱う薬種問屋のみが称することを許された、といいます。
そして、現代まで線香の製造を続けています。
「香」は姿は違えど、古くから世界中で作られています。
その中でも日本の線香は独自の発展を遂げ、
梅栄堂は香木・乳香といった香りのもとの調合・配合に長けており、
さらにレシピは門外不出として受け継がれてきました。

さて、さきほど「歴史の中にいる」と書きましたが、
いつの時代も同じ線香を作り続けてきたわけではありません。
特に現代になり、線香の求められる姿も変わってきました。
煙の少ない線香や、香りの控え目な線香はその一端です。
こういうとまるで企業として「生き抜くために」のようですが、
そうではなく、線香とともにある『人と生活』のために
線香の形だけは変えず、人と生活に寄り添ってともに歩んできた、
ということだと思うのです。
そしてこれからも歩みつづけます。
だから、歴史の中にいる、と考えるのです。






「香」について語るにあたり、もう一つ忘れてはならないことがあります。
「香道」です。
香道では、香りを嗅ぐことを「香りを聞く」といいます。
嗅ぐ、という表現は香道では無粋なことらしく、あまり好ましくないのですが、
端的に言うためにあえて表現しました。

では、なぜ「聞く」というのでしょうか。
耳で聞くのと同じ「聞く」、です。
耳で聞くとき、それもちゃんと聞くとき、「耳を傾ける」といいますが、
ただ音を聞き取るだけではなく、その内容もちゃんと理解するために耳を傾けます。
香りもそうなのではないかな、と思います。
香りのもとである香木は自然の産物であり、その自然の声に「心まで傾ける」から。

歴史の話がしたいわけではない、と書いてきましたが、
香の声は自然の声でもあり、歴史の声だとも思います。
さらには、自然と歴史を生きてきた我々の心の声かもしれません。

そもそも、聞く手段はなんでもいい、
耳は当然のこと、鼻でだっていい。
心を傾ければ、何か聞こえてくるのではないでしょうか。

何が聞こえてくるかって?
それはぜひ、試してみてください。





IMAGINEシリーズの誕生
IMAGINEシリーズは、海外向けに開発されたものでした。

元々、梅栄堂の古くからの主力商品「好文木」や「開運香」は、
ニューヨークマンハッタンの禅の道場で定着していました。
アメリカの禅道場でも線香は精神統一のために使われていたようです。
ただし、仏教が浸透している国ではないため、
一般人向けには内容量が多く、なかなか購入されることなく、
非常に狭いコミュニティでの消費に限られていました。

禅の道場に通う人の自宅用、というくらいだったのかもしれません。
しかし、日本の「ZEN」に魅力を感じている人はもちろん一定量いるとともに、
宗教的な枠組みを超えて、新しい価値、アロマとしての線香に注目する層も増えてきます。

輸出販売を続けていた梅栄堂は、ニューヨークでの展示会にも何度も出展していました。
香りは、心に訴えかける力を持つものとして万国共通です。
日本独特の香りの媒体としての線香は日本文化の象徴となりえます。
展示会に訪れる日本の「SENKO」に魅力を感じ、興味を覚えたバイヤーや消費者の声を丁寧に聞き、
少量、かつ香りにバリエーションを持たせた「IMAGINE」シリーズが生まれます。

北米で販売価格10ドルというお手頃価格を想定して少量での販売を企画し、
さらには香りのバリエーションによって、アロマとしての楽しみ方も加えたことで、
ニューヨークのタイムズスクエアエリアにあるお香ショップで販売が開始されると、
「ZEN」にちょっと興味を持ってくれた、ZENはせずとも「SENKO」を試してみたい、
という顧客には当然好評を博します。
「禅」、「精神世界」というとちょっと重いですが、
「IMAGINE」シリーズはアメリカ人からは「クール」として、とらえられたのかもしれません。
そして日本でも販売を開始すると、インバウンド層に
日本ならではのちょっとしたお土産に向いていると人気がでます。
さらには、このお手頃な価格もあって、試しに「線香」を買う日本人客も増えてきます。
なかには、日本人、外国人関係なく、「IMAGINE」シリーズを入門編として、
本格的な「好文木」などの線香や、お香を購入する方が増えた、といいます。

最初は海外で聞いた声から、日本に戻ってきて、
いつしか本格的な線香への道しるべとなっていたのです。
世界にも「線香」の姿をした香は多くありますが、
「日本の線香」は独自の進化を経てきました。
そして時代を経るごとに、こんなふうに国内だけではなく、海外で生まれ、
再び日本に帰ってくるということも起こっています。

「IMAGINE」シリーズは海外でいろんな声を聞いて生まれました。
常に「香りを聞いて」きた梅栄堂だからこそ、
バイヤーや消費者の声をも聞きもらさなかったのではないでしょうか。


線香の数え方
普通に数えれば、一本、です。
束になっていれば、一把、です。
でも、一?(しゅ/ちゅう:火ヘンに主)とも言います。
これは数、というより、時間の単位、です。
線香は長さがそろえられているため、燃え終わる時間が一定です。
なので、砂時計のような、タイマーの機能を持っていました。
禅寺では座禅の時間の目安になったり、遊郭では遊ぶ時間の目安になったりしていました。
一休さんは禅僧ですが、
一休さんなら頓智をきかせて、厳しい座禅の修行の時間は線香をちょっと短く折って座禅をしていたりして、
と勝手に想像してみたり。
いや、一休さんは室町時代の人ですから、まだ線香は使ってないかな。。。

時間はお金持ちにとっても、庶民にとっても、すべての人に共通の尺度です。
良い香り、というだけでなく、こんな用途もあったからこそ、庶民の生活に浸透していったのですね。