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Story


株式会社留河 一合計量米びつのストーリー
     『昇社長の「どないして解決したろか」』




(株)留河はいまや「だんじり」で有名な大阪府岸和田市にあります。
代々岸和田の地で桐箪笥を作る職人としてその腕を振るってきました。

現社長は4代目。留河昇氏。
当然のことながら家業を継いで、桐箪笥職人として伝統工芸である桐箪笥を作ってきました。
桐箪笥づくりには、他のモノ作り同様、受け継がれた多くの技術、
さらには代々の職人が開発してきた多くのアイデアが盛り込まれています。

ただ、昇社長は、桐箪笥に毎日向かい合うことで、
桐箪笥のすばらしさを知るとともに、その素材である「桐」に対しても真摯に向き合うことになります。
桐箪笥の良さは、伝統工芸としての美しさも大いにありますが、
今まで長く愛されてきたのは、桐箪笥の「性能」がその大前提、基本にあるのです。
高級品である桐箪笥は多くの人に使ってもらうチャンスはない。
しかし、桐で作った他の何かを世に送り出していくことはできないか。



さぁ、桐の特性ってなんだ?
その特性がいかんなく発揮されている桐箪笥ってなんだ?
昇社長は日々考えます。
桐の特性である、「虫がつかない」「調湿性」
さらに桐箪笥製造の欠かせない技術のひとつ、「密閉性」
高級品の桐箪笥よりも多くの人に桐の性能を使ってもらうためにはやはり小さく・・・

そこで行き着いたのが、「桐の米びつ」でした。
虫がつかない、調湿性、密閉性、この3つは箪笥においては衣類を守る要素だったのですが、
今度は米を守る要素として使う。
衣類も米も、どちらも人にとってはとても大事なもの。
「桐」はこの大事なものを守ることができる。
桐箪笥を作ってきたからこそ、いや、人の「大事なものを守るもの」を作ってきたからこそ、
この「桐の米びつ」は誕生したのです。

当然、簡単に商品化できたわけではありません。
3年の歳月を要しました。
多くの試行錯誤を繰り返しました。

作ってみて気がつくことも多々ありました。
米びつである以上、お米を計量できないといけない。
計量部分の構造も当然桐の部品でできていますが、
「桐よりお米のほうが硬い」という壁に突き当たります。
計量枡にお米を落とすのは引き出しの構造を応用するのですが、
お米が引き出し部分にかみこんで、桐の素材のほうが負けてしまう。
なんてことがありました。
もちろん、これは引き出し部分の構造を改良することで克服できたのですが。



昇社長が桐の米びつを世に送り出せた理由は、
桐箪笥職人としての誇りとその知識、さらには探究心は当然のこと、
新しいことをやってみて、
壁に突き当たっても、その壁を発見したことに喜びつつ、面白いと感じて
解決策をこれまた面白いと思って考えるスタンスがあったから、だと思います。
昇社長の性格、とも言えるのかもしれませんが、
「話のネタ」に敏感な大阪人気質も垣間見えたりするのですが、
その前向き、というか上向きなスタンスに感心します。

僕が昇社長とお話しさせてもらったときのとても印象にのこったことのひとつですが、
昇社長が「どないして解決したろか」という言葉を発しているときの
その楽しそうな笑顔と語り口がそのスタンスをよく表現していると思います。



桐箪笥づくりは続けていく。
なぜなら、桐箪笥は自分を育ててくれた、米びつを生み出した、
物言わぬ「師匠」なのかもしれません。
そしてもちろん、新しい「桐製品」はこれからも生み出していきたい、と考えてらっしゃいます。

昇社長は、
ただ桐箪笥、ただ桐製品を作っている、というのではなく、
「大事なものを守る」力のある桐で、
誰かの大事なものをもっと大事にしてほしい、誰かの大事なもののために何か役に立ちたい、
という、もっと大きなスケールでモノゴトを考えています。

それも、「どないして解決したろか」と笑いながら。



大阪と桐箪笥
 箪笥そのものは、江戸時代、大阪で生まれた、といわれています。
 江戸時代中期、明治期にかけて、製造技術は確立され、
 良質な桐を使用した泉州桐箪笥は高級品として知られるようになったようです。 

大阪府HP/大阪泉州桐箪笥、泉州桐箪笥ページ
http://www.pref.osaka.lg.jp/mono/seizo/dento-24.html